遠洋・沖合漁業の漁獲量が激減

戦後、日本の漁業は、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと、漁場を外に向かって拡大することで漁獲量を伸ばし、発展してきました。日本の遠洋漁業の漁獲量が最高を記録したのは1973年です。

沿岸から200海里を排他的経済水域と定める国連海洋法条約の採択に向けた会議は、この年に始まりました。この年を境に、遠洋漁業の漁獲量は減少していきます。1977年には、アメリカとソ連(現在のロシア)が200海里水域における時刻の権利を宣言し、日本が操業できる漁場は、どんどん狭くなっていきました。

適切な水産資源の管理が必要

その後も漁業協定などを結んで漁場を確保する努力を続けていますが、アメリカやニュージーランドとの協定では、200海里水域内に日本に割り当てる水産資源はないとされ、協定が終わってしまいました。現在では、その海域での操業は、マグロなど一部の魚を除いてはできなくなっています。

漁場の縮小にともない遠洋漁業の漁獲量は減り続け、2005年には、最盛期の15%にも満たないところまで落ち込んでいます。

1973年以降遠洋漁業の漁獲量は減少しましたが、日本の漁業全体の生産量は伸び続け、1984年に最高の生産量を記録しました。これは、マイワシやマサバなどが豊漁で、日本の200海里水域で行う沖合漁業の漁獲量が、遠洋漁業の減少分を補っていたためです。

しかしその後、マイワシやマサバなどが、急に不漁となります。この結果、1990年代に入ると、沖合漁業の生産量も急激に減ってしまいました。このように魚が極端に減ってしまった原因には、海洋環境の変化などもありますが、水産資源を適切に管理せず、乱獲を行ったことも大きな原因となっています。

1996年に国連海洋法条約を締結した日本は、自国沿岸の200海里水域の水産資源を確保するため、近海の魚の数が過去20年間と比べて、どのような状態にあるのかを調査しています。

1980年代に豊漁だったマイワシは、近年では数が激減していますが、他にも多くの魚が減っています。2006年の調査結果では、マダラやスケトウダラなど、多くの魚の群れでも、資源の減少が明らかになりました。こうした調査結果は、魚の種類ごとに漁獲量を管理するための目安として使われています。